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Écrit par : BlackMarines

毎度おなじみ、流浪のBlog、関東黒鴎組通信でございます。
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惜別球人2007 第3回・黒木知宏投手

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黒木知宏投手 現役引退を表明
2007/12/12 (水)

元・千葉ロッテの黒木知宏投手が12日、現役引退を表明しました。今後に関しては未定です。
黒木投手は、延岡学園高から社会人・新王子製紙春日井を経て、1994年ドラフト2位で千葉ロッテに入団。97年からは5年連続で2桁勝利を挙げるなど、チームを支えました。98年には13勝を挙げ、最多勝・最高勝率の2冠を獲得。
プロ通算13年で199試合に登板し、76勝68敗1S 防御率3.43という成績を残しました。

<黒木投手のコメント>
「13年間、マリンのマウンドに立ち、ファンの皆様に後押しをしてもらったおかげで、素晴らしい野球人生を送ることが出来ました。野球を通して素晴らしい経験をさせてもらったので、今後は自分が野球の素晴らしさを伝えていけるように情熱を注げればと思います。」


戦力外通告から約2ヶ月、黒木投手がついに現役引退を表明しました。
今回は惜別球人と言う形で、黒木知宏投手について振り返ります。

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黒木があと5年遅く産まれていたら・・・という意見を某所で見かけた。

もしそうなら、あの七夕の神戸における劇的展開は存在しなかったし、伝説の18連敗が「ただの悪夢」にしか過ぎなかっただろうし、今の千葉マリーンズの「あの当時では夢のまた夢」だった人気に繋がる事も無かった筈である。
逆に言えば、そもそも近藤監督に適性抜きに酷使されて故障する事も無かった訳で、今頃北京五輪予選における投手の大黒柱として、どちらにせよ全国的な人気者になっていた事だろうし、清水直行が必要以上のプレッシャーに負けて今のような状態になっていなかったかもしれない。

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2006/09/09 海老名球場にて。


タラレバを野球で語ってはならない、とは言うけれども、この人ほど必要の無い苦労と不条理とプレッシャーと神格化に近い人気を背負った投手もいないだろうし、そしてそれらを何するものぞと戦い抜いて来た投手もいないだろう。

全盛期を知らない鴎ファンの方に彼の事を敢えて言葉で説明するなら、こんな感じだろうか。

入団当初は中継ぎの起用でなかなか結果を出せなかったが、伊良部ヒルマン小宮山という1995年快進撃となった先発三本柱が相次いで球団との確執が基で流出し、抑えの成本や河本が勤続疲労で戦線を離脱しがち、しかも後に続く投手が殆どいないという余りにも過酷過ぎる環境の中、黒木は独り「大黒柱」としてチームに君臨する事になった。

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2006/09/22 浦和球場にて。


伸びのある直球、キレのあるフォーク、そして打者のタイミングを外す絶妙なカーブ。
先発予告が黒木の日だけ、それはもう安心して我々は試合を観戦できた。
最早国内に敵がいないくらい打ちまくっていたイチローや、入団早々いきなりマリーンズを粉砕した松坂といったリーグの枠に収まりきらず結局海外へ出て行ったレベルの連中と互角に争える投手も、当時のパリーグでは黒木ただ独りだった、と言う表現は誇張でも何でもない。
それだけ物凄い投手だったのがお分かりいただけただろうか?

1997年から1998年までのこの獅子奮迅な働きが、彼と千葉マリーンズを伝説の高みに引き上げ、その代償として余りにも重過ぎる十字架を背負う事になろうとは、当時誰も思わなかったし想像すら出来なかったのは言うまでもない。
1999年も前述した松坂との互角な対戦を貫禄を見せつつ戦い抜くなど、要所要所で彼らしい力でねじ伏せる投球を見せていた黒木だが、次第にその十字架が重く圧し掛かって来ているのは数字によく現れている。

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2006/09/09 海老名球場にて。


その中で彼の人気を不動にした事件を我々は忘れてはならない。
毎年黄金週間を境に奈落の底に沈み、クラゲの湧く頃に帳尻合わせな快進撃をしながら結局失速してしまうマリーンズ。
その年も七夕の日に首位になりながら瞬時に失速し、誰もがマリーンズに対して不甲斐無さを持って試合を見ていたはずである。
ロッテの夢は観客動員百万人であり監督胴上げ男泣きであり、それが毎年絵に書いた餅どころか悲しい現実を直視せざるを得なかった我々に対して、黒木が放った一言、これに全マリーンズ人が泣いた。

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2006/07/07 戸田球場にて。


1999年8月7日、マリンスタジアム、対日本ハム戦。
前年の七夕の日に連敗を食い止められずにマウンドに崩れ落ちた男が5割を切る連敗を自らの手で断ち切って立ったヒーローインタビュー。

俺は絶対諦めないし、うちのチームも諦めてません。
僕たちに力を発揮させてくれるのはファンの皆さんの声援なんですよ。
最後まで諦めないぞ!!


人一倍チームの事を背負い続けた男の涙ながらのヒーローインタビューを見て我々は共感を超えた感情を黒木に抱いた筈である。

そして、彼は伝説の投手となった。

数字に若干衰えのようなものが見えてきたとは言え、それでも2000年のシドニーオリンピックではやはり「日本の大黒柱」として日の丸を背負って投げた黒木。
しかしこの頃から現在まで続く右肩の違和感との闘いが始まっていた。

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2005/1/31 浦和球場にて。


翌2001年、無理を押してオールスターゲームに強硬に出場した事が仇になったのか、ついに戦線離脱。
手術を行わず只管回復を待つ日々と格闘する日々が続いた訳だが、我々ファンも、彼の肩の状態が良くなった、との報を受ければ彼抜きのチームが低迷する中、悦びの余り復帰登板はいつか、と言う話に光明を見出そうとし、やはりまだ無理、と言う報を聞けばまるでお通夜のように落ち込んだものである。
そして、いつしか浦和球場の外周部は「ジョニーロード」と呼ばれた。
復帰に向けて黙々と走り続ける黒木。
もう一度、マリンのマウンドで投げたい。
虚仮の一念は、岩をも、全ての不条理も通して、野球の神様に通じた。

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2007/09/24 戸田球場にて。


2003年、彼は二軍戦で復帰を果たした。
そして2004年、ついにマリンスタジアムのマウンドに登る黒木。
誰もがその復活を心待ちにし、そして誰もが泣いた。

6月2日、東京ドームの対日本ハム戦で同じく復帰を目指す岩本との壮絶な投げ合い。
あの時の黒木が帰って来た、誰もがそう思った筈です。
しかし、なかなか戻ってこない球威と投手として全盛期だったあの頃の自分との乖離、そしてファンの脳裏に強烈に残る絶対神と言ってもいい「黒木知宏」のイメージとの乖離との間で彼はもがき苦しんでいた。

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2007/06/24 横須賀スタジアムにて。


2005年に右肘を故障し、チームが夢にまで見た奇跡の優勝へ向けてホークスと死闘を繰り広げていた頃、彼は自分の虚像と死闘していた。

二人の黒木がマウンドにいたんですよ。
理想の黒木が先に投げてるんです。
その後を僕が追う。
もう一人の黒木が追えた。


以前のインタビューを抜粋してみた訳だが、「追えていない」自分自身に憤り、マウンドで吼える黒木がそこにいた。
球場にいる全ての選手も客も凍りつかせるようなその咆哮に、彼の並々ならぬ意志の強さを感じる事が出来ても、ただ見ている事しか出来ない我々は祈るしかなかった。

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2005/08/17 浦和球場にて。


そして8月17日、黒木が再び浦和のマウンドに立った。
この日、浦和球場が身動きが取れぬほどの混雑となり、駐車場が満車になった。
我々はまたこうして投げられる姿を見られることに感動したが、彼は違った。
あくまでも彼は絶対神・黒木知宏としてあり続けたかったのだ。

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8月28日、黒木は再びマリンのマウンドに上がり、必死の継投で勝利した。
そこにいるだけでいい、投げる黒木が見たい。
我々はそう思っていたが黒木は違った。
あくまでも彼は日本の不動のエース・黒木知宏としてあり続けたかったのだ。

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2006/09/07 浦和球場にて。


2006年に入っても、肩の状態が投げるその日にならないと判らないという不安定な状況は変わらず、そして球威も思ったほど伸びる事無く、彼の苦闘は続いていた。
あくまでも力で抑え込む黒木。
それが二軍では通用しても一軍で通用する訳が無い。
彼には痛いほどよく判っていた筈である。
故に今日もマウンドで吼える、それは悲しい響きとともに。

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2007/08/30 浦和球場にて。


2007年、彼の心境に何らかの変化がおきた。
あくまでも孤高を貫き通してきた黒木が若手投手と語り合う場面が増え、何か楽しみながらマウンドで投げている黒木がそこにいた。

技巧派への転向か?
コーチへの布石か?

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2007/09/16 西武第二球場にて。


私もそう思った。
しかし、11月に球団から戦力外通告を受けると、球団からの要請を全て固辞して、あくまでも現役続行、の意思を表明した。
正直ここまでして自分の道を貫くその姿勢は凄いとしか言い様が無かった訳だが、トライアウトを受けずに只管待つ黒木を「選手として」実際獲得しようとする球団は、ついに現れなかった。
そして今日の現役引退会見。
彼がようやく背負って来た重い、重い、余りにも重過ぎる十字架を下ろす日が来た。

ファンが背負わせた十字架。
球団が背負わせた十字架。
そして自ら進んで背負っていった十字架。

記録より記憶に残る選手への茨の道を選んだ幕が閉じた。

そしてこれから、ジョニーロードの第二章が幕を開ける。

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2007/09/24 戸田球場にて。


そしていつの日か、再びマリーンズを救いに黒木がマリーンズと言うチームを背負う日が来たら一言、

「おかえりなさい、ジョニー。」

そう言って暖かく、出迎えよう。
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テーマ:千葉ロッテマリーンズ
ジャンル:スポーツ

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