À mon sujet

BlackMarines

Écrit par : BlackMarines

毎度おなじみ、流浪のBlog、関東黒鴎組通信でございます。
こんな所を御覧戴いた奇特な紳士淑女な皆様には厚く御礼申し上げる次第でありますよ奥さん。

 (´エカ` )<HBK101
= Darker than BlackMarines

BlackMarines on twitter.
Calendrier
07 | 2017/08 | 09
Di Lu Ma Me Je Ve Sa
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
Archives récentes
Catégorie
Directives
当サイトを御利用されるに当たってのおやくそく。 【ダイジェスト版】

【掲載記事について】

※当サイトはクリエイティブ・コモンズに準拠しておりません。
※過去現在を問わず全ての記事に関する著作権は全て当サイト管理人に帰属します。 (他サイトからの引用記事並びに当サイト内に設置したブログパーツ、外部サイト提供による引用スクリプトを除く)
※部分引用目的以外の記事の改変・転載等の行為を禁止します。
※当サイトのコンテンツを自サイトに取り込む形で表示する行為を禁止します。
※Tumblrお断り。
※各種掲示板等へ当サイト内の記事の引用やリンクを投稿する行為は御遠慮下さい。

【掲載画像について】

※過去現在を問わず全ての掲載画像に関して全ての著作権は当サイト管理人にあります。
※個人/組織・商用/非商用の目的・理由の如何に関わらず当サイト掲載画像のあらゆる複次使用・改変・加工・転載行為を禁止します。
※当サイト掲載画像の他サイトへの直接表示・直接リンクを理由・目的如何に関係なく禁止します。
※各種掲示板等へ当サイトに掲載した画像のリンクアドレスを貼る事を禁止します。

【コメント・トラックバックについて】

※以下の当サイトへの送信行為は御遠慮下さい。

【トラックバック・コメント共通】
・本文と関係の無い内容
・宣伝目的と思われる内容
・悪意のある誹謗中傷を意図した内容
・内容が不適当であると管理人が判断したもの

【トラックバック】
・当サイト内の該当記事への言及リンクが無い記事からの送信
・本文の意図する趣旨とは異なる記事からの送信
・リンク集やニュースサイト、纏めサイト等からの送信
・トラックバックスパムの送信

なお、所謂「トラックバック返し」は行いません。御理解ください。
Search
Archives mensuelles
RSS feed
Bloglinesで閲読登録
Add to Google
はてなRSSに追加
My Yahoo!に追加

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

惜別球人2006 第4回・井上純選手

今回は「元祖・帳尻マスター」としてベイスターズ・マリーンズの優勝に深く関わった井上純選手を取り上げます。

1988年 東陵高校時代は大会屈指のスラッガーとして、3年生時に当校の甲子園初出場(夏の甲子園に出場)に貢献。初戦の福井商業高校に敗退したものの打撃力と俊足を評価され横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)が指名、入団。入団当初「屋鋪要よりも速い」と評された程の俊足や、高校通算打率3割・38本塁打の打撃で期待されたが、プロの壁は厚くレギュラー争いに食い込めず。
1995年 キャンプでの打撃フォーム改造が奏功し、9月にプロ初本塁打。その後は徐々に打撃技術が向上し、代打の切り札として一軍に定着。
1998年 西武との日本シリーズ第5戦、8番DHでスタメン出場。チームは38年ぶりのリーグ優勝・日本一。
2002年 腰痛や足の故障、若手の台頭により出場機会が激減。年齢的な面もありシーズンオフに戦力外通告、自由契約に。
2003年 テストを受けロッテに入団。花粉症の影響で、オープン戦やシーズン開幕直後は極度の不振。その為当初は期待外れと酷評されたが、シーズン中盤からは大車輪の活躍。8月に故郷である仙台での試合で、県大会の決勝で打ったホームランと同様のコース、同様のストレートの球を同様のスイングでホームラン。
2004年 春先に受けた死球の影響で調子を落とすものの、復活後はベテランらしい活躍を見せる。
2005年 この年は打率が1割台と苦しんだが、プレーオフ第2ステージ第5戦で、8回裏から左翼手の守備に着き、リーグ優勝のウイニングボールを捕球。チームは阪神との日本シリーズも制し、31年ぶりのリーグ優勝・日本一。
2006年 アジアシリーズの屈辱をバネにフォームを改造。これが功を奏し、絶好調な状態で開幕を迎え5番を打ったこともあったが、夏に近づくにつれ調子を落とし、登録抹消。
(以上、wikiペディアより)


マリーンズファンにはお馴染みとなった

「 帳 尻 」

という言葉があります。
あの暗黒時代、毎年のようにシーズン終盤になると突如選手達が真価(?)を発揮しだし、上位イジメはおろか自分の成績まで人並み以上のものに押し上げてしまうこの傾向はマリーンズの風物詩的な存在でしたが、自分的にこの言葉がマリーンズにしっかり定着したのは、実は2003年終盤のあの快進撃だったのではないかと思います。

初芝が代打7打席連続安打という記録を打ちたて「神」の領域へ昇華し、2番福浦、3番井上純、4番堀幸一という半ばコロンブスの卵的なオーダーで連勝。
花粉症で出遅れた筈の井上選手がこの渦の中心にいたのはもう皆さん御存知の通りですね。

翌2004年も昨年並みの働きを見せながら、肝心の2005年、殆ど結果を出せなかったにも拘らず、POセカンドステージでしっかりウイニングボールを掴んだのは流石に運の良さ、というべきでしょうな。
そういえば井上純、という名前と存在を知ったのは、横浜ベイスターズが優勝した年に突如ブレイクして、次世代の新戦力が台頭した、的な扱いをされていた時でしたっけ。
しかし、2005年・2006年と一気に「上で通用しない」存在となってしまったのはやはり年齢的なものがあったのでしょうか。それにしては、浦和で流し打ちでスタンドまで持って行ったりと結果を残しており、これまた「何で昇格させないんだろうなぁ」と思った事もありましたな。

まぁ、おいやんの影響でスナップというよりネタを追うようになって気付いた事なのですが、井上選手はいつも人懐っこい笑顔をしているんですよね。
モロさんの快晴のような笑顔とは違う暖かな笑顔。
井上選手も野球を「楽しんでいた」のでしょうね。

井上選手、お疲れ様でした。
これからは帳尻戦士の系譜を継ぐ(?)立派な選手を産み出して欲しいですね。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。