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Écrit par : BlackMarines

毎度おなじみ、流浪のBlog、関東黒鴎組通信でございます。
こんな所を御覧戴いた奇特な紳士淑女な皆様には厚く御礼申し上げる次第でありますよ奥さん。

 (´エカ` )<HBK101
= Darker than BlackMarines

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惜別球人2006 第5回・寺本四郎選手

今回は任意引退という形でマリーンズを去ることになった「浦和の大将」・寺本四郎選手を取り上げます。

1998年 3年生時出場した夏の甲子園では、松坂大輔を擁する横浜高校と準決勝で対戦し、6点差から一転、逆転サヨナラで敗退(その瞬間マウンド上にうずくまって泣き崩れたシーンは、高校野球ファンにとって今も印象深い)。ドラフト4位で千葉ロッテに指名され、本人の強い希望から投手として入団。
1999年 ルーキーながら3試合に登板。
2002年 以前から定評のあった打撃を活かす為、野手転向。
(wikiペディアより引用)


どうしても寺本君には「松坂大輔」が付き纏います。
入団時も「プロでのリベンジを果たせ」的なキャラにメディアが勝手に位置づけてしまい、それが未だに根付いているのが悲しい所です。
(松坂世代に関しては色々な著書で細かい事が書かれているので当方では割愛させていただきます)
当時、明徳の寺本という投手がそれほどいい投手であった、とは残念ながら私は思っていませんでした。
上背があるわけでも、水野(元・巨人)のような豪快な直球やマウンド度胸があるわけでもなく、コントロールがある訳でもない。これを松坂と一度死闘を演じてしまったが為に虚像を作り上げてしまったような感が今でもあります。
どの本に掲載されていたかを失念してしまったのですが、やはり球団側から再三野手への転向を打診されている辺り、そこは首脳陣も認めていたところなのでしょうか。
しかし寺本君本人の苦悩と決断が先延ばしになってしまったのが今考えると非常に残念な事だったのかもしれません。

投手としてのラストイヤーだった頃の彼は、もう観ていられないほど痛々しいものでした。コントロールを付ける為なのか腕がサイドハンドになり、球速が一軍に僅かな機会ながらあがっていた時、それ以上に遅い。
結局その年を境に打者への転向、という事になります。
しかし、これも残念な事ながらその当時の浦和マリーンズの中身が「ぬるま湯」過ぎたことが彼の不幸でもあったように思います。当時の編成が、微妙なレベルの即戦力の社会人投手と微妙なレベルな他球団のロートルだらけにしてしまった為に、本当に高卒出身の野手が育たなかった。

打撃を小笠原(日本ハム)風にして豪快な打撃を目指していましたが、惜しむらくは選球眼に乏しかったように思います。
大体寺本君が手を出すコースはアウトハイのゾーン、もしくは更に上のボール球でしたね。
低めのゾーンに縦系の変化球が来たらもう対応できない、こういった打撃が続きました。

守備においても投手出身、という事でかなりの強肩ではありましたがコントロールや打球処理にやはり難がありましたね。
やはり入団直後の基礎段階から野手なら野手でやらせるべきだったのでしょうか。
そうであればこういう寂しい引退、という形にはならなかったのではないか…私はそこが残念でならないのです。
あの当時の球団首脳、編成、その他諸々、本当にあの頃は素人が見ていてもおかしかった。
澤井君といい、天野君といい、本当に残念です。
人を活かせない組織は組織じゃないですよ。

野球選手としての「寺本四郎」は余りパッとしたものにはならなかったのですが、素顔の「寺本四郎」は本当にいい男でした。
今季、特に中盤以降、無理に明るくなったような感が拭えません。何か胸に期するものがあったのでしょうか。
イニング前の外野手とのキャッチボールでのお客さんとのやり取り、これは本当に微笑ましいものでした。
また、「浦和の主将」としての自覚に目覚めたのか、ピンチになるとマウンドに声を掛けに行ったり、試合前の練習でもいつも明るい笑顔を振り撒いていましたっけ。

来季、これで浦和に上から降格しない限り、「ベテラン」とか「兄貴分」な存在が野手陣には一人もいなくなります。
本当に寂しい限りです。
最後に、四郎君の最後の試合が雨で途中コールドゲームになりグダグダなまま終わった事、山形の試合で出場機会が無かった事が惜しまれます。

山形で試合のあった翌日、四郎君は浦和球場で、一人でトンボがけをしていたそうです。
丁度フルキャストスタジアムで一軍の今季最終戦が終わり、飯田さんの引退セレモニーに涙していた頃の話です。
何て切ないのでしょうか。
今年ほどプロでの実績云々に関わらず「いい奴」がいなくなる年はないですね。それがプロだ、と言われればそれまでなのですが、この寂寞感だけは何とも言えない苦さをもって、私の胸を満たしています。

四郎君、お疲れ様。

赤に身を包んだあの豪快な打撃を、忘れないよ。
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