今回から個別に退団選手を取り上げていく訳だが、第1回は敢えてこの人にした。
その名は、天野勇剛選手(登録名:ユウゴー)。
ある意味、浦和の選手の中で最も期待していた一人である。
浦和三羽烏の一人としてこの2年位ネタにしかならなかった選手であるが、黒鴎的にはかなりの思い入れのある選手である。
静かに浦和を去る彼の足跡をたどってみよう。
甲子園では仙台育英高校の一員として金村暁(北海道日本ハム)、中浜裕之(近鉄→巨人・05戦力外)、志田宗大(ヤクルト)と共に闘った。ポジションは投手(関西戦)と遊撃(天理戦)。
この年(95年)ドラフト7位でマリーンズに入団。
同期には澤井(1位)・薮田(2位)・松本(5位・今江・西岡を釣り上げた名スカウト)がいる。
当初は投手としての入団であったが、潜在的な長打力を買われてあっさり野手転向を果たしている。
ユウゴーにとっての第一の転機は1999年。
この年、浦和で2割9分近い打率に13本のHRをかっ飛ばし、シーズン終盤に1軍にテスト昇格。9月29日の西武戦で3塁手として出場、初打席の相手は松坂だった。
翌日の30日には谷中(!)からプロ初打点を挙げ、更に10月2日の日本ハム戦ではオレラーノ(!!)から初ホームランを放ち、一躍山下徳人や大村巌、佐藤幸彦を飛び越えて「若手のホープ」になるのか、と期待は高まる一方であった。
しかし、翌期のOP戦で失速して以来、浦和でも泣かず飛ばずな状態が続く。
ユウゴーにとっての第二の転機は2000年。
打力を活かして吉鶴が外野へコンバートされると、何故かユウゴーは捕手へコンバート。
ひどい時は、(捕三一)ユウゴー、な試合展開もあった。
素人目から見て狂ってるんじゃないか?と思われた起用で引っ掻き回され、石井浩男や初芝清や堀幸一や信原拓人や松本尚樹や塀内久雄や渡辺正人やサブローや青野毅が入り乱れ、内野競争の激化した01年シーズンを境に打撃成績も急降下。
スイングがどのコース・球種に対して一定なドアスイング・プルヒッターとなり、今江&西岡世代や今季の大松&竹原世代に完全にポジションを奪われ、今季は出場機会すら激減。
04年オフに結婚、心気一転懸命に練習に励む姿に、浦和には辛口なジョニーこと黒木知宏に「今一番頑張っているのはユウゴー」、と言わしめた。
しかしとき既に遅く、今季末で戦力外の通告が。
98年にもっと早くブレイクさせていれば、01年に余計な起用法をしなければ…、とやたら「タラレバ」のつく選手だった。
優しげな顔立ちに女性のファンもそれなりにいただけに、せめてサブロー並みにブレイクしていれば…。
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