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Écrit par : BlackMarines

毎度おなじみ、流浪のBlog、関東黒鴎組通信でございます。
こんな所を御覧戴いた奇特な紳士淑女な皆様には厚く御礼申し上げる次第でありますよ奥さん。

 (´エカ` )<HBK101
= Darker than BlackMarines

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惜別球人:第2回・澤井良輔選手

惜別球人の第二回にはやはり、浦和のヌシ、千両役者、澤井良輔「先生」にお出まし願わねばなるまい。
今季の戦力外通知の中で最も衝撃的なものだったし、誰もが分かっていたとは言え「ついに来てしまったか」と思わしめたこの愛着あふれる選手について、足跡を辿っていこうかと思う。
銚子商を10年ぶり11回目の甲子園出場へ導いた4番打者沢井は、その年ロッテドラフト1位でマリーンズ入団。市立銚子の長谷川投手は広島ドラフト1位。初の銚子からのドラフト1位二人同時指名の快挙となった。
この年はある意味豊作の年で、前述した同期入団の天野を擁した仙台育英をはじめ、東海大相模{原俊介(兎96①)森野将彦(竜97②)}、PL学園{前川勝彦(牛97①→虎)福留孝介(日本生命→竜99①)}、郡山{宮越徹(竜97⑧→猫)}、今治西{藤井秀悟(早大→燕00②)}、熊本工{荒木雅博(竜96①)}、日南学園{平下晃司(牛96⑤→虎→鴎)と、妙に鴎と縁のある選手の多い年であった。

「西の福留、東の澤井」と言う言葉は、澤井良輔を語る上で切っても離せないキーワードである。当時はそれだけ評価も高かったし、外れ1位とは言え球団としても期待は相当なものがあったはずである。
しかし、案に相違してこの時期の高卒ドラフト上位の野手は悉く低迷を続ける。

立川隆史(93②)・大塚明(93③)
大村三郎(サブロー・94①)・橋本将(94③)
澤井良輔(95①)・渡辺正人(97①)

ここら辺の連中が伸び悩みまくり、今頃になって活躍してきた(未だにし切れてない者も現存するが)理由と言えば、ボビー政権が95年末に広岡一派のクーデターで倒壊後、04年にボビーが復帰するまでの約10年間、ドラフト自体の戦略のチグハグさや度重なるお家騒動&政権交代、フロントの二軍組織の軽視、二軍首脳陣自体に育成能力が無かった、等々色々な理由があるわけだが、それにしてもこの暗黒時代の選手育成を怠ったツケ(福浦の大ブレイクがあったとは言え)が、ここまで深刻に、今に到るまで響きまくるとは正直思いもしなかった。この前巨人がどうこう、と書いたが、マリーンズだって余り人のことは言えないんだよね…。
(大塚の場合は飛躍しようとすると怪我しまくったので別格か)
この時期を「マリーンズ暗黒時代」と語る鴎ファンの老兵(失礼!)達はこの模様をリアルタイムで見ざるを得なかった訳で、このもどかしさとイライラ感は今でも忘れることが出来ない。故に今季の浦和マリーンズの優勝は感慨深いものがあるんですわ。
天野勇剛もそうだったが、そういう意味で澤井良輔もマリーンズ暗黒時代の「被害者」の一人だったのかもしれない。
…と言いたい所であるが、実際の成績を見る限りそうも同情できない部分があるのは致し方あるまい。

とにかくミート力はある。しかし、バットコントロールやバント等の小器用さに欠け、更に走塁が早いわけでなく長打力もさほど無い為に、二軍での出場機会を与えられても満足な成績を残す事が出来ない日々が続く。
転機が訪れたのは2002年3月30日、西武初の札幌で迎えた開幕戦スタメン・サード起用であった。
…が、5回裏、カブレラの三ゴロを捕球→送球の遅さで内野安打としてしまい、澤井の記録のつかないエラーを契機にミンチーに見事な炎上の華を咲かせ、敗戦の原因を作ってしまった。
結局1軍でのチーム事情上、穴である三塁や二塁・右翼での必死の起用も守備動作の緩慢さが致命傷となり、2003年以降はついに上からのお呼びすら掛からなくなる。
ついに栄光の背番号「10」を剥奪され、「32」という何処の守備固めかワカラン背番号に降格させられた今季も、OP戦の終盤に掛けて一軍メンバーに残り、ファンをして「これが最後のチャンスか」と言わしめながらも結局は開幕一軍を果たせず、二軍でも新戦力の台頭で右投手専門の代打起用にまで出番が減り、今季の戦力外と繋がった。

これだけ現役生活が長くてこれといった成績も残せなかった選手なのに、何故根強い人気がでるのか?、と最近のネタ化した「浦和の千両役者」の澤井良輔しか見ていないファンの方は思うかもしれんね。

暗黒時代のファンにとって、澤井良輔が、神にまで昇華した「初芝清」と言う存在に肩を並べた日、それこそが「暗黒時代の終わり」であり、いつか澤井良輔が自分で打ち破ってくれる、と信じていたこそ、守備動作が遅かろうが、二軍でいつまで立っても打てなかろうが根強い「澤井良輔待望論」があったんではないかな?、と今になって私は思う。
所謂判官びいきの一種みたいなもんだが、浦和球場で澤井良輔に接した事のある者なら気分は何となく分かるはずである。
あのノホホンとした風貌、浦和オヤジ達のチャチャ入れにも笑って切り返せる余裕、ファンに気軽に話しかけられても気軽に話し返す気さくのよさ、あの人の良さでファンになった方も多いのではないだろうか?

しかし、プロ野球は数字が全て、打ってナンボ、走ってナンボ、守ってナンボ、という冷徹な商売である。
私はその視点でなるべく野球を見るようにしているのだが、こと澤井選手にだけは暖かな眼でつい見てしまうのである。

ノホホンとした性格は、現状の浦和マリーンズ、引いては優勝を狙うチーム編成にははっきり言って不必要な存在である。そうであるが故に今回の戦力外通告になった訳であるが、もう少し彼に打力があれば、もう少し彼に厳しさがあれば、今頃初芝清の後継者、「ミスターロッテ」としてプレーオフ前の練習にいそしんでいる筈だったのにな…。
澤井選手を来期浦和で見られないという事態に際して、これほど寂寥感が漂うとは正直自分でも思わなかった。ぬるま湯浦和マリーンズの象徴として叩いた時期も正直あった。しかし、初芝清の引退といい、澤井良輔の戦力外といい、なんだろう、自分的にはいろんな意味で「一つの時代が終わった」ような気がしてならない。

☆☆追記☆☆
今季追浜で見たセンターバックスクリーン越えのHRが澤井良輔のマリーンズ時代最後のHRになってしまった。
あの時は冗談で「10年分のチャージ放出か?」などと書いてしもうたが、まさか本当にそうなってしまうとは…。
それほど、あの日放ったHRは、凄い一発だった。
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