信濃國紀行 其乃弐 高遠の桜を愛でる
今回は地勢的にも歴史的にも興味深く、しかも桜の名所として知られる高遠城までのお話を。
諏訪大社を後にして杖突街道へと向かうのだが、途中集落の真ん中を突き抜ける旧道が急に狭まり且つ不自然に曲がっていたりして、ドライバー的には誠に優しくない箇所を通過したりとしているうちに、茅野の南外れから急に始まる山道の入口が見えてきた。
これが旧杖突街道で、ここから杖突峠まで何度も蛇行を繰り返す。
wikiペディアによると、
冗談抜きに中央構造線上に跨る杖突峠を境にして、急峻な山道から緩やかなダラダラ坂に変わる様は地勢的にみて面白い。
峠の絶景はドライブインによって独占されている為に、時間が無い関係上峠の手前の景色の良いところで茅野方面~南アルプス連山に向けて撮影してみた。
この峠の絶景ぶりの少し位はお分かりいただけると思う。
実は高所恐怖症の為に、撮影場所が冗談抜きの断崖絶壁の為に腰が抜けそうになったのは秘密だ。
今でこそグネグネ曲がった道が整備されているが、戦国の昔は「杖でも付いて歩かないと登ってられない」ような急峻な山道であった事が忍ばれる。
諏訪が北信濃へ抜けるための要地であるならば、高遠は甲斐と美濃を結ぶ東山道のショートカットの途上にあるばかりか、遠州への抜け道への分岐なんでありますな。
逆に伊那谷から観ると、諏訪へ向けて進む道が丁度伊那谷の終わる辺りの絶妙な所に高遠が存在する。これは高遠から伊那に向けて車を走らせると良く判る。
…なにやら杖突峠と高遠の地勢的な話で盛り上がり過ぎた。
ごめん。
杖突峠を過ぎてダラダラ坂を下ると、こちら側の気候が全然違う。
かなりの強風が吹き荒れていてこれでは肝心な桜がヤバ気な様相ではないか。
それでも杖突街道沿いに趣深い桜を見かけたので撮ってみた。
この分なら大丈夫かなと思いながら車を高遠へ進めていく。
高遠の街はY字に分岐した川に挟まれた形になっており、伊那へ続く街道はそこを避けるかのように街の外れを進む。そして街の入口めいたT字路を左に入っていくことで進入するように出来ている。
こういう昔ながらの道路構成が残っているのはマニア的に嬉しいのだが、最近高速バイパスなるものが、街道から城の裏手へ中途半端に伸びているのはどうにも頂けない。
多分観光目的な部分もあるのだろうが、折角の興趣をぶち壊すような政治的道路族の考える事はどうにも理解し難いものがある。
勘助曲輪(後述)から高遠の街を見てみる。
結構高い山の上にある事が判る。
城は前述したY字に分岐した川の奥に鎮座しているのだが、城下町と言うより武家屋敷が山の麓に張り付くように存在していたのには興味を惹かれた。
時間が無いので一々見ることが出来なかったのが残念だったが、安土城でも山麓に子飼いの武将や徳川家康のような同盟者の拝領屋敷(?)があったというだけに、当時の山裾に住まう生活がどんなものだったのか、興味が尽きないものがある。
そうこうしているうちに山本勘助にゆかりがあると言われる勘助曲輪に車を誘導され、そこに駐車する事となった。
これ、どう見ても街の野球場だと思うんですが?
桜はやはりこの2日で散り急いでいるようで、ギリギリ見られる状態でございましたよ。
空掘を降りてよく観光写真にも出ている太鼓橋を見上げるアングルを。
これは満開の時ならさぞ素晴らしい風景であったことでしょうなぁ。
二の丸も一面の桜・桜・桜、そして桜吹雪。
もうこの圧倒的な物量は愛でるとか何とか言う以前に圧倒されますな。
太鼓橋を渡って本丸に入る大手に町屋から移築された問屋門があるのだが、これは流石に趣が違うと言うか、左右に広がる石垣のことを考えると非常に違和感があるのが残念。
昭和23年に移築されたものらしいのだが、まぁそれを差し引いても、明治維新以来荒地となったこの城を大切にしてきた高遠の人々の想いが結晶となってこの桜の園を育て上げたのかと思うと感慨深いものがある。
色々な城下町をそれなりに自分は訪れてきたつもりだが、ここ高遠の素晴らしさは別格と言ってもいいかもしれない。
今度は桜が満開の時期にも行きたいけれども、やはり人のいないシーズンにゆっくりと自分の足で巡って見たい、そんな気が沸き起こって止まない高遠城址公園であった事でしたよ。
…この時点で3時過ぎ。
結構余裕だと思いつつもかなり早足でここまで来たつもりだが、ナビが示す飯田到着予定時間を見て愕然となった。
到着予定時刻は、午後4時30分です。
…え?飯田ってそんなに遠いの?
伊那谷を下り、中央高速に乗っかってその時間って?
時間があれば高遠にもう一度寄って見聞しようかと言う気になっていたものを見事なまでに水を刺された自分。
果たして日没前に飯田に辿り着けるのか?
俺の孔明は暖かく自分に微笑んでくれるのか?
衝撃の出会いは、次回にて。
本日は、これまで。
これが旧杖突街道で、ここから杖突峠まで何度も蛇行を繰り返す。
wikiペディアによると、
杖突峠(つえつきとうげ)は、長野県伊那市高遠町と茅野市の境界にある峠。標高1247m。国道152号が通っている。
茅野(諏訪盆地)側は糸魚川静岡構造線による地溝によって直線距離が3kmに満たないにも関わらず高低差が400m以上にもなる急傾斜となっており、道が険しいことから峠の名が付けられた。車道となった現在も拡幅や付替の工事がなされている。伊那市側は中央構造線に沿って比較的ゆるやかに街道が走る。
茅野側の展望が良く、八ヶ岳を一望できる他、霧ヶ峰、美ヶ原、北には北アルプスの山並までの展望が望める。また眼下には諏訪湖を望むことができ、夜景も楽しめる。信州三景観の一つに数えられている。 また晴ヶ峰(はるがみね)の別名を持つ。
戦国時代の武田軍の軍事上の要所として知られている。
杖突峠を通る茅野~高遠~伊那の街道は、杖突街道とも呼ばれ古代東山道の一部であるとされている。
冗談抜きに中央構造線上に跨る杖突峠を境にして、急峻な山道から緩やかなダラダラ坂に変わる様は地勢的にみて面白い。
峠の絶景はドライブインによって独占されている為に、時間が無い関係上峠の手前の景色の良いところで茅野方面~南アルプス連山に向けて撮影してみた。
この峠の絶景ぶりの少し位はお分かりいただけると思う。
実は高所恐怖症の為に、撮影場所が冗談抜きの断崖絶壁の為に腰が抜けそうになったのは秘密だ。
今でこそグネグネ曲がった道が整備されているが、戦国の昔は「杖でも付いて歩かないと登ってられない」ような急峻な山道であった事が忍ばれる。
諏訪が北信濃へ抜けるための要地であるならば、高遠は甲斐と美濃を結ぶ東山道のショートカットの途上にあるばかりか、遠州への抜け道への分岐なんでありますな。
逆に伊那谷から観ると、諏訪へ向けて進む道が丁度伊那谷の終わる辺りの絶妙な所に高遠が存在する。これは高遠から伊那に向けて車を走らせると良く判る。
…なにやら杖突峠と高遠の地勢的な話で盛り上がり過ぎた。
ごめん。
杖突峠を過ぎてダラダラ坂を下ると、こちら側の気候が全然違う。
かなりの強風が吹き荒れていてこれでは肝心な桜がヤバ気な様相ではないか。
それでも杖突街道沿いに趣深い桜を見かけたので撮ってみた。
この分なら大丈夫かなと思いながら車を高遠へ進めていく。
高遠の街はY字に分岐した川に挟まれた形になっており、伊那へ続く街道はそこを避けるかのように街の外れを進む。そして街の入口めいたT字路を左に入っていくことで進入するように出来ている。
こういう昔ながらの道路構成が残っているのはマニア的に嬉しいのだが、最近高速バイパスなるものが、街道から城の裏手へ中途半端に伸びているのはどうにも頂けない。
多分観光目的な部分もあるのだろうが、折角の興趣をぶち壊すような政治的道路族の考える事はどうにも理解し難いものがある。
勘助曲輪(後述)から高遠の街を見てみる。
結構高い山の上にある事が判る。
城は前述したY字に分岐した川の奥に鎮座しているのだが、城下町と言うより武家屋敷が山の麓に張り付くように存在していたのには興味を惹かれた。
時間が無いので一々見ることが出来なかったのが残念だったが、安土城でも山麓に子飼いの武将や徳川家康のような同盟者の拝領屋敷(?)があったというだけに、当時の山裾に住まう生活がどんなものだったのか、興味が尽きないものがある。
そうこうしているうちに山本勘助にゆかりがあると言われる勘助曲輪に車を誘導され、そこに駐車する事となった。
これ、どう見ても街の野球場だと思うんですが?
桜はやはりこの2日で散り急いでいるようで、ギリギリ見られる状態でございましたよ。
空掘を降りてよく観光写真にも出ている太鼓橋を見上げるアングルを。
これは満開の時ならさぞ素晴らしい風景であったことでしょうなぁ。
二の丸も一面の桜・桜・桜、そして桜吹雪。
もうこの圧倒的な物量は愛でるとか何とか言う以前に圧倒されますな。
太鼓橋を渡って本丸に入る大手に町屋から移築された問屋門があるのだが、これは流石に趣が違うと言うか、左右に広がる石垣のことを考えると非常に違和感があるのが残念。
昭和23年に移築されたものらしいのだが、まぁそれを差し引いても、明治維新以来荒地となったこの城を大切にしてきた高遠の人々の想いが結晶となってこの桜の園を育て上げたのかと思うと感慨深いものがある。
色々な城下町をそれなりに自分は訪れてきたつもりだが、ここ高遠の素晴らしさは別格と言ってもいいかもしれない。
今度は桜が満開の時期にも行きたいけれども、やはり人のいないシーズンにゆっくりと自分の足で巡って見たい、そんな気が沸き起こって止まない高遠城址公園であった事でしたよ。
…この時点で3時過ぎ。
結構余裕だと思いつつもかなり早足でここまで来たつもりだが、ナビが示す飯田到着予定時間を見て愕然となった。
到着予定時刻は、午後4時30分です。
…え?飯田ってそんなに遠いの?
伊那谷を下り、中央高速に乗っかってその時間って?
時間があれば高遠にもう一度寄って見聞しようかと言う気になっていたものを見事なまでに水を刺された自分。
果たして日没前に飯田に辿り着けるのか?
俺の孔明は暖かく自分に微笑んでくれるのか?
衝撃の出会いは、次回にて。
本日は、これまで。
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